ジミ・ヘンドリックスが遺した伝説ー私達がみているもの

   

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ジミ・ヘンドリックスがなぜ今日まで

「伝説」として残っているのか?

 

ギターに火をつけたから

といったパフォーマンスによってなのか?

 

いや、そうではない。

だったらあの時代に、誰がギターに火をつけても

その人は伝説になったはずだ。

 

そのような「目に見える」視覚的な事柄が

重要なのではない。

 

問題は

「ジミという意志の力が

強烈だった」

 

また

 

「その意志が

曲、演奏に反映された」

 

その上で

「それが私たちに

届いている」

 

という事実、

 

それに尽きる。

 

しかし、それがどう伝説と繋がるのか?

 

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ギター着火という掴み

ジミの伝説な逸話として

ステージで、

ギターを燃やし、破壊した

というものがある。

 

ジミはデビュー直後とあるロックフェスで

ステージ上でギターを燃やし

観客に、物凄いインパクトを与えた。

 

このギターへの着火は

ライブ前の楽屋で

細かく段取りが組まれ、

壊すギターや手順、着火の用意まで

入念に打ち合わせされていたー

 

という関係者の話も実際残っている。

 

そう、要するに

ジミが突発的にやったこと

(突発的だったら犯罪である)

ではなく演出としての大衆への

強烈な「掴み」

だったのだ。

 

観ている観客に

インパクトを与えること

ーそれによってジミの音源を聴かせるー

 

という流れを作る事によって

後々の音楽活動を

有利にするためのものだった。

 

 

しかしその後・・・

演出として成功した「火を付ける」

という試みであったが、

彼のライブパフォーマンスは

そのあとも続いていった。

 

流石に火までは着けなかったが

ギターを歯で弾く、

ギターを背中で弾く、

足にくぐらせながらの演奏など

 

エキセントリックさは

演出として、

過剰なものであった。

 

 

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観客のウケ

 

このようなパフォーマンスを

なぜジミはしたか?

 

本人が「したかったから」

と解釈してもいいのだが、

 

結局の理由は客に

「ウケるから」

であったのだろう。

 

そのパフォーマンスを観たいが為に

ライブに足を運ぶ

客も多かったらしい。

 

その後のライブ

しかし、

ジミの初期のバンド、「エクスペリエンス」解散後

何度目かのライブである、

 

バンドオブジプシーズ

 

でのライブで

ジミは派手なパフォーマンスを

ほぼせず

演奏する事に徹した。

 

特に長いインプロビゼーションが続く

「マシンガン」

では

ジミの直立不動で演奏する

神業と言っても過言では無い

ギタープレイが

映像として残っている。

 

晩年の彼は

派手な演出を封印し、

演奏に徹した。

 

ジミの軌跡の本質

と、ここまで

ジミのパフォーマンスの

流れであったのだが、

その流れと曲の内容、アルバムの構成

などとは

関係があるのか?

 

というと

「ほぼない」

 

ガクッという感じだが

本当にないのだ。

 

初期のエクスペリエンス

の実験に実験を重ねる手法と

 

バンドオブジプシーズの

ファンク的なスタイルの違いは

あるものの

 

パフォーマンスの

有り無しには

あまり関係していない。

 

もうはっきり言ってしまおう。

 

ジミのパフォーマンスに意味はない

 

そんなもの

ただ見えている

事柄に過ぎない

 

それが観たいやつは

サーカスに行けばいい。

 

ジミは火をくぐる

ライオンでも

手品師でもない。

 

彼の伝説的な逸話の

「ギター破壊は」

なんの意味もない

 

彼の真価とは彼が本物の

「音楽家」

であった

という事なのだ。

 

ジミの本質は本当に

素晴らしい音楽を

創り出したという事だ。

 

彼がなぜ残るか

ジミは27歳で亡くなるまで

数多くの曲を

いや、名曲を

次々と創り、演奏した。

 

その曲がなぜ今も残っているのか?

 

それは聴き手に迎合したからでも

論理的に曲をつくったからでもない。

 

彼は「彼のしたいように

しただけだ。

 

彼には音楽を創りたいという

意志や欲求、

そしてその能力が

桁外れにあった。

 

その「やりたい音楽」が

ギターを弾くという形に繋がり

我々に届いている。

 

それが時間と空間を超えて

私達が聴いているのだ。

 

彼の

「意志と情熱」が

私達を動かしている。

 

抽象的だが

それが彼が残る理由だ。

そうとしかいえない。

そこは私として非常にもどかしいが。

 

時間を超える欲求

ジミは紛れも無い「本物」だ。

 

本当に残るものー

その「本物」が本物かどうかは、

言い換えるとその真価は

時間が判断してくれる。

 

太古の文学にしても

その時代の作品で

消えていったものは

数知れない。

 

でも本物は残るのだ。

いかに時間が経過しようが

確実に。

 

そしてその時代の

人たちに確実に

感動を与える。

 

それは大衆への迎合では

絶対に無理だし、

作品をいくら論理的に構成しても

難しい。

 

問題は

その創り手の

「これがしたい!」

という欲求そのものなのだ。

ジミの真価、それを受け継ぐ私達

ジミには

その「欲求」があった。

 

そしてそれを音にできた。

素晴らしい演奏もできた。

 

しかし、それだけなのか?

そのジミの「欲求」だけが

「本質」なのか?

 

いや、その本質には

聴いている

『我々」の存在もある。

 

結局のところ

聴いている我々が

ジミからの

「ギターとしての音」

認識しているのだ。

 

ジミによって

変化させれている

聴き手の存在

 

それはパフォーマンスを

見るだけの観客ではない。

 

彼の「音楽」を

純粋に評価する

 

我々リスナーの

力でもある。

 

説を伝えるー伝説

 

そう、ジミの伝説とは

ジミからの

エネルギーが

我々に届いているという

事実そのものなのだ。

 

ジミの「説」が

私達に「伝わる」

 

これは歴史である。

 

本当の意味でそれが「伝説

である。

 

最後に

パフォーマンスのはなしから

かなり遠回りして

伝説までやってきて本物の話

そして聴いている我々の話になった。

 

ここで最後に言いたかったのは

 

ジミの凄さは

彼の表現した意味合いが

「私達に確実に伝わっている」

という

 

驚愕の事実である。

 

それはまるで

何万光年もの

距離の星の光が

私たちが見るのにも近い。

 

ジミは本当にある意味

星になったのかもしれない。

 

その光を今観れる喜びは

凄まじい。

 

この先もその伝説ーいやその光は

私たちを狂喜させ続けるだろう。

 



 - ジミ・ヘンドリックス ,