映画「ジミ・ヘンドリックス」感想!その虚しき栄光について

      2019/08/15

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これは人なのか?

ジミ・ヘンドリックスのこの映画を見たのは、中学2年生だった。

レンタルビデオ屋でDVDで借りたのだったと思う。

 

初めて、ジミの映像を観たのだが、

正直な感想を言うと

「ギターうまいなぁ」

というより

 

「なにこれ?どうなってんの?」

「こんな事が可能なの?」

 

といった

人知を超えたギター演奏をする・・・

いや、演奏ではない。

ジミ・ヘンドリックスという皮をかぶった

 

「剥き出しの音像」

 

をみた。

 

今もこれを書く前に、この映画をまた観たのだが、

その感想は変わらなかった。

 

私はジミを見ているようで

見ていない。

 

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ジミ・ヘンドリックスの映画を見ての感想

 

見ている、また聴いているのは

ジミというフィルターを通した

 

『音そのもの」

 

それは音だけが生起を繰り返す、

 

人間を超えた、純粋さ極まりない

 

音だけの現象

 

それがまだ中学生の私には

 

「???」

であった。

 

 

映画というより

何か、難解な書物を

読んだ体験であった。

 

いや、正直に白状しよう

 

「理解できなかった」

 

当時の私には「?」であった。

 

ジミ・ヘンドリックスの映画を見て…それでもシビれた記憶

とはいったものの

ロックミュージックとして感動したのは

確かだ。

 

特にチャックベリーのカバー

「ジョニーBグッド」

には衝撃を覚えたし

 

「マシンガン」

でのギターテクの細かさには

度肝を抜かれた。

 

ジミのステージでの演奏の凄さは

火を見るよりも明らかであった。

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ジミ・ヘンドリックスの映画の素晴らしき楽曲群

映画には

ジミの演奏能力の高さ

ギターを最大に活かす奏法

 

そして何より

自分の頭の中のイメージを

忠実に再現した

 

彼の目指す

素晴らしい楽曲が

映像を通して

収められている。

 

ジミは

ギタリストとしてギターを弾いている、

というより

「自らのアウトプット」

それが

「ギター」

だったのだ。

 

手法としてギターがあった

そして、それが桁外れに弾けてしまった。

 

その鮮烈さが

楽曲として昇華される。

 

この映画には

見事にそれが描かれている。


ジミ・ヘンドリックスの映画は何処までも空虚

素晴らしい音楽が

美しい形で収められた

作品である…

 

が。

この映画に終始漂っているのは

 

圧倒的な空虚感

 

とでもいう底無しの

 

虚しさ

 

とでも言える、味の無さが漂っている。

 

 

どういうことかというと

音楽家としての

「ジミ・ヘンドリックス」

は必ずしも

個人としての

「ジミ・ヘンドリックス」

とイコールではなかったという事だ。

 

 

作品中、何人もの関係者による

インタビューがあるのだが

それが、ある意味かなりシュールなのである。

 

いくら、何人にインタビューしても

 

ジミのイメージは定まらないし、

周りとジミとの関係も、

決定的な事実も、

最後までよくわからないまま映画は終ってしまうのだ。

 

ジミの関係者に、

彼について詳しく話を聞いても、

そこで聞かれるのは

音楽の素晴らしさではない。

 

ただ生前のジミと自分について、

「ただ、あった事」

を話すに終ってしまう。

 

 

それにより一般者としての

「ジミ・ヘンドリックス」

が浮き立ち

「いったいコイツは何だったんだ?」

という訳がわからない宙に浮いた状態が

最後まで一貫され描かれてしまっている。

 

その様はただただ

 

虚しい

 

「物凄いギタープレイ

で膨大な楽曲を創作した」

 

偉人と

 

「こんなやつだった」

 

という印象しかない「ジミ」という

ただの人間。

 

その2つの落差と解離が生まれれば生まれるだけ

映画が空虚感で被われ

ジミ・ヘンドリックスの実体のなさが

顕著に描かれている。

 

 

「オレはいったいなにを見ていたんだ?」

 

という後味を残したまま

映画は終わってしまった。

 



【ジミ・ヘンドリックス】映画の象徴的なシーン

象徴的なシーンがある。

 

それは終盤「インフロムザストーム」

を演奏し終えた後、ジミは

 

「嘘八丁と平和を」

の一言のあと、

無造作にギターを肩から落とすのだ。

 

そう、ジミは誰よりも気付いていた。

自分はギターがいくらでも弾けること、

そして彼そのものが音楽という

一種の自然現象だったということを。

 

彼はそんな自分が偉大な

音楽そのものだという事実を

「嘘八丁」と韜晦した。

 

それはロックの「歴史」であったかも知れないが、

月並みの悲劇でも栄光でもない。

ただ「純度が高いギターサウンド」であった

 

それ以上でも以下でもないのである。

 

浮かび上がる天才ージミ・ヘンドリックス

 

高度なギターサウンドを作り出す担い手、

もう一方、ジミという人間。

この二者をコントラストをつけることによって

この映画が描いていること、

 

ーそれは、ジミ・ヘンドリックスは天才だ。

という事実。

 

当たり前だがそれだけのことなのだ。

 

言い換えると

人間、ジミが辿った天才としての運命。

それが映画で一貫して

映し出されている。

 

 

ー話が少しそれる、(私見)ー

 

今のご時世「天才」と「能力がある」ということ、

そして「成功する事」がどんどん混同されてしまっている。

 

ー指が動くこと、正確に作業ができること、

斬新な事が思いつく事ー

 

それは天才とは違う。

 

ーでは天才とは何か?

 

それは自分の環境、形状、流れに従えるかだ。

そしてそれらに逆らわず努力できるかどうかだ。

 

その点からいうとジミは

まさしく天才であった。

 

音楽を奏でるという自らの運命に逆らわず

それがどんな自分という姿になろうとも、

 

ひたすらギターを弾き、曲を書き、

死ぬまで努力し、遂行した。

 

この姿は安直な精神論や努力論ではない。

それは一人の人間の、

美しい生き方そのものである。

 

 

この映画は

そんなエネルギーを詰め込んだ

「記録の映画」でもある。

 

最後に

もう一つ。

常識とジミについて言わせて欲しい。

 

彼は

「ギターの常識を打ち破った」

ということを言われる。

 

確かに、親指で指板を押さえる、

ファズの使用、

#9thやブルースの高速化など、

打ち破ったものはたくさんある。

 

ジミ・ヘンドリックスの名盤&名曲は?アクシスボールドアズラブがおすすめ!

 

だが、彼は常識を打ち破ったのではない。

あくまで彼は「自分の常識」に

従ったのだ。

それが彼であった。

彼は彼という自然のままだった。

 

そして、

自由かつ運命に逆らわない、

斬新だが自然な姿。

 

その姿が

この映画では空虚かつ

鮮明に描かれている。

 

天才、ジミ・ヘンドリックスを

そのようにリアルに

またコントラスト高く映し出した

この作品は

優れた音楽映画としての

役目を見事に果たしている。

 



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